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★中心街 / 鉄道 sitemap 神戸高速鉄道を経由して接続 神戸市の鉄道網は次のようになっています(神 戸近郊鉄道路線図)。 ![]() 神戸市中心部を通って、大阪方面と明石方面を直接結んでいるのはJRだけです。新幹線は北端を通り、在来線は中央部を通っています。
![]() ただし、神戸高速鉄道を経由して、阪急と山陽電鉄、阪神と山陽電鉄は、それぞれ乗り入れできます。神戸電鉄は、神戸高速鉄道の新開地駅まで 乗り入れることにより、阪急、阪神、山陽電鉄に乗り換えることができます。神戸高速鉄道は各私鉄を接続する地下線路を提供している会社で、自 らは列車を運行していません。
私鉄では阪神が最も古い歴史 神戸の鉄道網は次のように発展してきました(神 戸市交通局100年史 第1章 近代都市神戸の形成と電気・電車事業の始まり 、神 戸市交通局100年史 第2章 神戸市の発展と神戸市 、神 戸市交通局100年史 第3章 市電・電気事業の発展と課題参照)。
狭軌は神戸電鉄とJR在来線だけ 神戸の鉄道のレール幅(ゲージ、軌間)は、次のようになっています。標準軌は欧米で広く採用されていますが、官 有鉄道には狭軌が採用されました。狭軌を採用したのは、大隈重信ですが、のちに「一生一代の不覚」と後悔していたそうです(国 鉄のレール幅を決めた大隈重信「一生一代の不覚」とは?)。現在の神戸の鉄道では、狭軌は神戸電鉄とJR在来線だけです。
そして、1887年公布の私設鉄道条例(勅令、のちの私設鉄道法)では、「レール幅は狭軌、戦時には国が使用できる、官営鉄道と接続させる ことができる、25年後には政府が買収できる」など、上記の方針に沿った規定が盛り込まれました。山陽鉄道株式会社は、1901年に下関−神 戸間を全線開通したものの、1906年、鉄道国有法により、国有化されてしまいました。なお、1919年の地方鉄道法(私設鉄道法の後継)で は、標準軌も認められことになりました。 阪神は、軌道条例により設立 一方、1890年には軌道条例が公布されました。「軌道とは専用の線路を持たず既存の路面に敷かれるもの」(箕 面有馬電気軌道開業までの状況 - 神戸学院大学)ということですから、路面電車を想定したものと思われます。しかし、当時は欧 米で電車が実用化されて間もないころで、日本初の路面電車である東京都電気鉄道が開通したのは1895年になってからで、電気事業も始まった ばかりでした(神 戸市交通局100年史 第1章 近代都市神戸の形成と電気・電車事業の始まり )。 軌道条例は3か条しかなく、第1条で「軌道は、……公共道路上に布設することを得」、第2条で「新に軌道敷を設くるの必要あるときは、之に 要する土地は……内閣の認定を経て之を収用することを得」と規定していました(軌 道条例)。これらの条項からは、軌道条例による鉄道でも、専用線路を設けてよいとも解釈できそうです。また、レール幅には特に制 限はありません。 摂津電気鉄道株式会社(現在の阪神電鉄)は、軌道条例によって1899年に設立され、1905年に神戸(三宮)−大阪(出入橋)間の営業を 開始しますが、「軌道であるにもかかわらず,路線全体の6分の5を専用線路にしたのである」(箕 面有馬電気軌道開業までの状況 - 神戸学院大学)ということです。1921年制定の軌道法第2条では「軌道ハ特別ノ事由アル場 合ヲ除クノ外之ヲ道路ニ敷設スヘシ」と定められています。 神戸市が市街電車を買収 1910年、神戸電気鉄道株式会社が市街電車「栄町本線」を開業します。この会社は、現在の神戸電鉄とは別の組織です。1917年、神戸市 がこの市街電車事業を買収し神戸市電気局(のちの交通局)とし、従業員全員を市の職員としました。 1919年、神戸市電の第1期の計画線が完成し、1924年には、第2期線工事が完了します(神 戸市交通局100年史 第2章 神戸市の発展と神戸市)。 ![]() 当初は有馬まで伸ばす計画 箕面有馬電気軌道株式会社(現在の阪急電鉄)は、1907年に設立され、1910年に現在の宝塚線と箕面線で開業していますから、阪神電鉄 より歴史は少し新しいです。1918年、阪神急行電鉄に社名変更し、1920年には、上筒井まで乗り入れ神戸に進出します。上筒井からは、市 電で元町や新開地へ接続していました。 なお、社名が「箕面有馬」となっていたのは、次のように、当初は有馬まで伸ばす計画があったためです(阪 急宝塚線と箕面線が開通した日 幻に終わった「有馬直通」-1910.3.10)。 ![]() 私鉄4社が出揃う 1928年には、宇治川電気株式会社(現在の山陽電気鉄道株式会社)が兵庫−姫路間で直通運転を始め、神戸有馬電鉄(現在の神戸電鉄)が神 戸−三田間の営業を始め、神戸の現在の私鉄4社が出揃いました。 昭和初期の神戸市観光地図(近 現代神戸の観光空間 : 1920-1950年代の湊川新開地の変遷に着目して)に、私鉄4社の路線と、神戸市内の終着駅を書き 込みました。各社とも新開地や元町通には乗り入れていないので、市電が市民の移動手段となっています。「当時の市バスの普通区料金は 10銭に過ぎず、現在の貨幣価値に置き換えるならば、市バスは200円、観光バスは2400円といったところだろうか。なお市電は普通券が6銭で営業時間も午前5時から翌 日の午前1時と、市バスの午前6時から午後11時半と比して2時間半も長く、より大衆的な『市民の足』としての交通機関であった」ということ です。 空白地に神戸駅 1881年の神戸市は次のようになっていました(返 還以後の神戸外国人居留地 : 明治後期から大正期を中心に)。古くからの港町の兵庫津に市街地が広がり、開港に伴い居留地や西 国街道沿いにも街が出来つつあります。官営鉄道は、新市街地の北端を東西に通り、兵庫津と新市街地の空白地に神戸駅が造られました。神戸駅前 に湊川神社が造営され、周辺に民家が広がっています。新市街地近くには三ノ宮駅が造られていますが、この駅は現在の元町駅付近にありました。 現在の三宮駅周辺は、田畑や野原が広がっています。なお、現在の三宮エリアにある駅については、JRだけが「三ノ宮」 と表記しています。そこで、国鉄当時の駅名についても、「三ノ宮」と表記することにします。 ![]() 国鉄高架と三ノ宮駅移転 大正昭和に入り、神戸市中心部全域に市街地が広がると、国鉄線路により街が南北に分断されることになります。また、旧生田川河口周辺に新港 突堤が造られ、新生田川の東側に川崎製鉄と神戸製鋼の工場が建設され、阪神と阪急沿線に宅地が開発され、神戸市中心部は東に拡大します。 そこで、国鉄を高架にするとともに、三ノ宮駅を現在の場所に移転することになりました。「東寄りに移転したのは、私鉄路線の市内乗入れ、そ ごう百貨店の移転などが計画されていたからであった」だそうです。高架は、1919年から測量開始、1926年着工、1931年完成という大 がかりなものでした。高架化する前、市電は、鉄道線路を跨線橋でまたいで交差していましたが、工事完了後は高架線の下をくぐることになりまし た。次の写真は、高架化前の様子と高架化工事の様子を写したものです(神 戸市交通局100年史 第3章 市電・電気事業の発展と課題)。 ![]() 駅の移転により元町には鉄道の駅がなくなりましたが、1934年に国鉄の電化にともない、三ノ宮駅があった付近に駅が復活し、元町駅と名付 けられました。 阪神は地下に専用軌道 阪神は、神戸市内では路面を運行していたので、安全や速度に問題がありました。そこで、1931年から、岩屋から三宮まで地下に専用軌道を 敷く工事を始め、1933年に完成しました。その結果、大阪ー神戸間の特急は35分にスピードアップしました。1933年の開業当時、阪神の 三宮駅は終点でした。次の左の写真(神 戸市交通局100年史 第3章 市電・電気事業の発展と課題 )にあるように、大阪方面から西に走って来た列車は、行き止まりとなっています。 ![]() 当時、湊川公園を一大ターミナルにして、東西の私鉄を接続する計画があり、阪神の地下線路の建設は継続され、1936年に元町までの工事が 完成し、国鉄元町駅の地下に阪神元町駅が開業していますが、1937年には日中戦争が始まり、1938年には国家総動員法が施行され、計画は 頓挫します。なお、東西の私鉄を接続するという計画は、戦後、神戸高速鉄道により実現しました。1936年には、阪急が高架で三宮へ乗り入 れ、三宮エリアはターミナルとして発展することになります。 第3セクター方式で相互乗り入れ 戦後間もない1946年に神戸市が、地下線路で私鉄4路線を接続する計画を立ち上げ、1958年に、神戸市と私鉄4社が4割ずつ出資し、今 でいうところの第3セクター方式で神 戸高速鉄道株式会社 が設立されます。1968年、私鉄4路線を地下線路で接続する神戸高速鉄道が開通します。 路線図は次のようになっています(知 られざる大動脈「神戸高速線」はどう変わる)。線路と駅は神戸高速鉄道株式会社が管理し、列車の運行は私鉄各社が行います。阪 急、阪神と山陽電鉄のレール幅は標準軌なので、相互乗り入れが出来ますが、神戸電鉄だけ狭軌なので、乗り換えなければなりません。 ![]() 開業当時、阪急と山陽電鉄は須磨浦公園−六甲間、阪神と山陽電鉄は須磨浦公園−大石間、をそれぞれ乗り入れていました。 しかし、現在は、阪急と山陽電鉄は新開地−三ノ宮間のみ乗り入れとなっています(路 線図・駅情報|阪急電鉄、鉄 道情報/路線図・駅情報/駅/山陽電車)。 一方、阪神と山陽電鉄は山陽姫路−大阪梅田間を乗り入れています(路 線図|阪神電車、鉄 道情報/路線図・駅情報/駅/山陽電車)。 神戸高速鉄道株式会社は阪急阪神HDの子会社に 2006年10月、阪神は阪急HDに経営統合され、現在では、阪 急阪神HDの中核会社となっています。阪神は山陽電鉄に出資し、阪急は神戸電鉄に出資していますから、私鉄4社は阪急阪神HDと 資本的には関連企業ということになります。
直通特急で快速に対抗 神戸高速鉄道株式会社が出来たころは、歓楽街・新開地への私鉄各社の乗り入れは、大きな意味がありました。しかし、新開地が衰退し、その意 味は薄れました。しかし、神戸電鉄にとっては、新開地で乗り換えで、大阪や明石方面に接続できる意味はありますし、山陽電鉄にとっても、三 宮・大阪方面に乗り入れる利点はあります。 では、その利点はどの程度のものか、姫路から大阪までの所要時間と運賃を比較すると次のようになります。 運賃は余り変わらないのに、JRは30分以上速いです。
![]() 一方、阪神と山陽電鉄の直通特急の停車駅は次のようになっています(路 線図|阪神電車)。 ![]() 直通特急の方が、快速よりも停車駅は少し多いですが、所要時間は少し短いです。 神戸ー姫路間は、山陽電鉄(オレンジ)とJR(ブルー)は並行して走っていますが、駅は山陽電鉄の方がかなり多いです(路 線図ダウンロード ヨンナナ路線図|47RAIL.JP)。 ![]() 阪神地区では、阪神(山吹色)とJR(ブルー)は並行して走っていますが、駅は阪神の方がかなり多いです。 ![]() 阪神と山陽電鉄はJRに比べ駅の数が多い上に、西明石以東のJRは複々線となっているので(日 本一長い複々線は関西にあり! 最高時速130キロ・新快速が「外側線」を走れるようになった理由)、スピードで競っても勝ち目 はありません。そこで、直通特急は途中駅の乗客を拾うことにより、快速と対抗しようとしているのかもしれません。 地下鉄と阪急の相互乗り入れは頓挫 阪神は山陽電鉄と相互乗り入れし、姫路ー梅田間に直通特急を走らせていますが、阪急は相互乗り入れに後ろ向きです。阪急阪神HDとしては、 相互乗り入れは一本化した方が経営効率が良いという計算があるのかもしれません。さらに、阪急と地下鉄西神・山手線を相互乗り入れしようとい う構想がありました。 三宮から大阪までの所要時間と運賃は次のようになっています。速さではJR、安さでは阪急、という形で競っています。
しかし、この相互乗り入れは、神戸市にとって、さほどのメリットはありません。乗客がJRから阪急に流れたとしても、トータルの通勤客が増 えるわけではないからです。 したがって、当初はこの構想には阪急は積極的だったのに対し、神戸市は消極的でした。その後、2013年に久元喜造神戸市長が誕生すると、 神戸市側も前向きな姿勢に転じました。しかし、事業費は2000億円と試算されるのに対し、それに見合った効果は期待できないという結論に達 し、構想は頓挫したようです(神 戸地下鉄と阪急神戸線の乗り入れ構想は実現せず。大阪梅田〜西神中央直通は幻に。)。 六甲山地を貫いてショートカット 地下鉄北神線は、2020年までは北神急行電鉄株式会社という私鉄でした。駅は、谷上(たにがみ)と新神戸だけで、7.5kmの区間はほと んどがトンネルです。開業当初から地下鉄山手線と相互に乗り入れていました。 次の図(初乗り運賃日本一の私鉄「市営化で大幅値下げ」のナゼ 競合の市バスはドル箱 共存可能?)が示すように、谷上から鈴蘭台を経由すると三宮まで40分ほど要するのが、六甲山地を貫いてショートカットす るため、わずか10分に短縮されます(【今日は 何の日?】六甲を貫く鉄道会社が誕生)。 ![]() 鈴蘭台ー湊川・新開地に集中 高度成長期以降、神戸市北部、さらに北の三田、西の三木・小野地域にかけて宅地開発が進み、人口が急増し始めました。この地域には、鉄道は 神戸電鉄しかなく、次の図( 神 戸電鉄/鉄道情報/各駅のご案内)が示すように、三田(さんだ)線・有馬線方面からの通勤客と、粟生(あお)線方面からの通勤客 は、鈴蘭台ー湊川・新開地に集中することになります。 ![]() そこで、混雑緩和を図るため、谷上と新神戸を結び、地下鉄山手線と相互乗り入れする鉄道を建設することになりました。神戸電鉄と阪急が各 33%出資し、北神急行電鉄株式会社を設立、1982年着工し、トンネル延長は7,276mで、総建設費は約555億円に上り、1988年に 開業します(神 戸市交通局100年史 第7章 都市の発展と地下鉄の建設)。 神戸高速鉄道を経由して融資 しかし、北神急行は、開業当初より、赤字が続き、債務超過状態に陥ったため、阪急電鉄や神戸電鉄、神戸市、兵庫県が支援に乗り出し、 2002年度以降、安定して当期利益を確保することができるようになりました。 ところが、2007年、神戸電鉄の経営上の理由から支援を一時中断すると通知したため、阪急は、新たに100億円の無利息融資を行い、北神 急行は阪急の連結子会社となりました(北 神急行電鉄株式会社に対する追加融資の実施について)。 2002年の支援策では、次のようなテコ入れが行われました(財 政援助団体等監査結果報告〔神戸高速鉄道株式会社〕 )。 ![]() 県と市と阪急が240億円を神戸高速鉄道株式会社に貸し付け、神戸高速鉄道はその貸付金で北神急行から鉄道線路を買い受け、その鉄道線路を 北神急行に貸して使用料を受け取るというものです。要するに、県と市と阪急が神戸高速鉄道を経由して、北神急行に融資するというものです。 鉄道線路を半額で神戸市に転売 ところで、神戸高速鉄道が鉄道線路を買い受けるについては、「保有期間は20年、期間終了後は、残資産と残債務のすべてを阪急が引き継ぐ」 という合意がなされていました。この合意に従って、2020年に、阪急が神戸高速鉄道から鉄道線路を譲り受け、県と市からの借入金を返済して います。購入代金を貸主である県と市と阪急に直接支払った形ですが、阪急は購入者であるとともに貸主でもあるので、購入代金と貸金を相殺して います。その上で、阪急は、鉄道線路を購入額の半額で神戸市に転売しています。一方、北神急行は、谷上駅・車庫・車両を、資産価値の半額で神 戸市に譲渡し解散しています。 ![]() 2002年時点で、北神急行の総資産額は、約389億円でしたが、2020年に神戸市は、それをほぼ半額の約198億円で購入したことにな ります。阪急の融資総額は、2007年時点で、270億円となっています(北 神急行電鉄株式会社に対する追加融資の実施について)。神戸高速鉄道を経由した間接融資240億円は、最終的には阪急が負担して います。神戸市の支払った198億円がそれらの返済に充てられたとすれば、阪急の最終的な損失は310億円ほどになります。 実質的には赤字経営が継続 結局、神戸市が格安で鉄道施設を入手し、阪急が一方的に損を被った形になっています。しかし、格安の買い物をしたといえるかについては疑問 もあります。 2002年度から2006年度までの、北神急行の営業成績は次のようになっています(北 神急行電鉄株式会社に対する追加融資の実施について)。 ![]() 1988年の開業以来の赤字が積もり積もって、2002年度には270億円を超える債務超過となっています。神戸市や兵庫県が支援に乗り出 し、 2002年度以降、当期利益が出るようになったものの、その利益も2億円程度なので、債務超過を脱するためには130年ほどかかることになります。しかも、市と県は 1999年度以降、毎年1億3500万円ずつの補助金を出し続けていましたから(北 神急行の「神戸市営化」 県が20億円支援へ)、実質的には赤字経営が継続していたことになります。 さらに、鉄道線路を神戸高速鉄道に売却した形で、問題を先送りしたことにも注意しなければなりません。鉄道線路はほとんどがトンネルなので 巨額の工事費がかかっていますが、資産価値はゼロです。北神急行が鉄道経営を放棄して清算しても、鉄道線路は鉄道以外に使い道がないからで す。前述のように、2020年に、阪急は神戸高速鉄道から鉄道線路を譲り受けていますが、これによって、阪急は北神急行への直接融資270億 円に加え、事実上、新たに240億円の間接融資を行ったことになり、支援額は総額510億円となります。その上、単独で赤字路線を支援続けな ければならなくなります。したがって、神戸市が北神急行を200億円で購入してくれるのは、願ってもない話だったとも言えそうです。 黒字継続は、相当困難? では、神戸市にとってはどうでしょうか。北神急行の買収後、谷上ー三宮間の料金を550円から280円に、270円も値下げしました(「日 本一高い」北神急行、運賃値下げで乗客1割増 市営化から1年 )。 北神急行の時代は、地下鉄に乗り継ぎ、三宮まで行くと、次のように、個別の料金を加算するよりも30円安くなっていましたが、北神急行の買 収後は、谷上ー新神戸間が90円値下げされ、さらに三宮まで乗り継いでも料金はそのままです。
神戸市の地下鉄運賃は次のようになっています( 神戸市:地下鉄料金表)。 ![]() 初乗り運賃は210円で、乗車距離に応じて30〜40円ずつ加算されます。北神線の初乗り料金は280円ですが、谷上ー新神戸間の 7.5kmは、西神・山手線の3区に相当する距離なので妥当な値段といえます。新神戸間ー三宮ー県庁前は距離が短いので、北神ー山手線の初乗 り区間は3駅まで延長されています。 しかし、この料金体系によれば、北神急行の買収後、谷上ー三宮間の料金は270円も値下げすることになります。北神急行が解散し、市営地下 鉄が鉄道資産のみ引き継ぐことになるので、スケールメリットによる人員や車両の効率的運用が期待できます。しかし、北神急行は、市と県の補助 金により、かろうじて黒字経営を保っていたのですから、270円も値下げして、引き継ぎ路線の黒字を継続するのは、相当難しいと思われます。 兵庫県は複数年に分けて計約20億円の財政支援を行う方針だそうです(北 神急行の「神戸市営化」 県が20億円支援へ)。 混雑緩和の必要はなかった そもそも、北神急行は民営企業だったわけですから、経営に失敗したからといって、公費で救済することはないとも言えそうです。しかし、過去 のいきさつを調べてみると、そうとも言えないようです。 高度成長期に、北神地域の人口が増え続けたため、神戸市は「総合基本計画」の中で、鈴蘭台−湊川間の混雑緩和を図るため、北神線の建設を打 ち出します。そして、1977年、兵庫県と神戸市は北摂・北神地域鉄軌道委員会を設置し、北神地域と既成市街地を結ぶ鉄道の建設を促進すると いう方針を固めます。これを受けて1979年、神戸電鉄と阪急が北神急行電鉄株式会社を設立します(神 戸市交通局100年史 第7章 都市の発展と地下鉄の建設 )。1988年に開業しますが、神戸電鉄の有馬線と粟生線の乗客数は、次のグラフ(神 戸市地域公共交通計画(令和3年5月改訂))が示すように、1992(平成4)年にピークを迎えた後、急速に減少しています。つ まり、混雑緩和の必要はなかったことになります。 ![]() 北区の人口は1996年にピークを迎え、その後は緩やかに減少しています(神 戸人口ビジョン(改訂版))。ただし、神戸電鉄の乗客数ほど、極端には落ち込んでいません。 ![]() 三田から大阪まで40分 神戸電鉄は、有馬口を経由して三田(さんだ)まで伸びています。高度成長期に、三田市に北摂ニュータウン(北摂三田ニュータウ ン) を開発する計画が持ち上がりました。北神急行は、ニュータウン建設により神戸電鉄の乗客が増えることも想定して計画されたも のと思われます。明石から大阪まで新快速で40分ですから、三田から大阪までと同じぐらいの所要時間です。三田から三宮までは、北神急行を使 えば40分で着きます。 ![]() 4つ地域で構成 北摂三田ニュータウンは次の4つ地域で構成されています(北 摂三田ニュータウンの紹介|(株)北摂コミュニティ開発センター)。 ![]() それぞれの地域の人口は次のとおりです(ひょ うご北摂大規模ニュータウン - ココシルひょうご北摂ライフ)
複線電化で本格的に始動 北摂三田ニュータウンの開発は次のように進みました(三 田市50年のあゆみ)。1981年に入居は始まっていますが、本格的に始動し始めたのは、1986年に福知山線が複線電化してか らです。神戸電鉄の公園都市線がウッディタウンまで開通したのは1996年ですから、街が出来上がってからです。
人口減少が続き、急速に高齢化 ニュータウンの入居が始まって以来、三田市の人口は次のように推移しています(三 田市人口11万人割れへ 減少に転じ10年、急激な高齢化懸念)。1986年に福知山線が複線電化してから、全市的に人口が増加 していますが、開発が本格化したニュータウンの人口が急増しています。2000年に入ると、新旧市街の人口が拮抗しますが、旧市街とフラワー タウンが減少に転じ、市全体でもこの10年人口減少が続き、急速に高齢化が進んでいます。 ![]() 大阪向きのベッドタウン 1981年に行われた初の宅地分譲で土地を購入した130人を対象に調査したところ、次のような結果が出ました(平 成21年度三田市史を読む会現代資料編>第 2回資料2)。大阪方面に向かう通勤客は、神戸方面の6倍ほどの比率となります。福知山線の複線電化工事は1977年に認可され ていましたが、この調査で北摂三田ニュータウンが「大阪向きのベッドタウン」となることが予想されるようになり、1986年に複線電化が完了 しています。
![]() 累積赤字は1000億円 2018年度の市営地下鉄各駅の1日平均の乗降客数は次のようになっています(神 戸市営地下鉄−駅別乗降客数ランキング 【2018年最新版】)。谷上駅のデータがないので、神戸市の統計から推測しました( 第 98回神戸市統計書 令和3年度版)。谷上駅は、市営地下鉄全体と比較すると上位10位に入っています。しかし、西神・山手線の 各駅と比べると、真ん中よりも下の方です。西神ニュータウンの3駅(西神中央、学園都市、西神南)と須磨ニュータウンの2駅(名谷、妙法寺) が上位に入って、地下鉄の経営を支えています。一方、海岸線の各駅は下位に沈んでいます。
複線は有馬線だけ 2018年度の神戸電鉄各駅の1日平均の乗降客数は次のようになっています(神 戸電鉄の駅別乗降客数ランキング)。谷上駅のデータがないので、神戸市の統計から推測しました(第 98回神戸市統計書 令和3年度版)。比較のため、JR三田駅とJR新三田駅のデータも追加しました( 三 田駅(JR西日本)の乗降客数の統計)。
谷上方面へは、乗換が必要 路線図は次のとおりです(神 戸電鉄/鉄道情報/各駅のご案内)。 三田線の三田ー横山間と公園都市線の三田ー横山間は同じ線路を共用しています。公園都市線は、三田駅と北摂三田ニュータウンを結んでいま す。公園都市線から谷上方面に向かうには、横山駅で乗り換える必要があります(路 線紹介 三田・公園都市線 )。公園都市線の利用者の相当数は、福知山線に乗り換えて大阪方面に向かっているものと思われます。 ![]() 通勤時間帯は10分に1本 神姫バスの市内路線は、三田市の新旧市街各所とJR三田駅を結んでいます(路 線図|路 線バス|神姫バス株式会社 )。長距離路線は、六甲北有料道路(兵庫県道95号)、阪神高速7号北神戸線、阪神高速32号新神戸トンネルを経由して、三田 市と三宮を結んでいます。長距離路線は、三田駅を経由する路線とフラワータウンを経由する路線があり、フラワータウンを経由する路線は、通勤時間帯は10分に1本ぐらいの便があります(神 戸三宮〜神戸北・三田・関学・関西墓園線時刻表)。 ![]() ウッディタウンとカルチャータウン、テクノパークは新三田駅の方が近いので、神姫バスの市内路線が各所と駅を結んでいます。 ![]() 市営化前は、バスが有利 鉄道とバスの三宮までの所要時間と料金を比較すると次のようになります(北 神線のこれまでとこれから)。黒色はバス、赤色は鈴蘭台経由、緑色は北神線経由を示しています。北神急行市営化前は、緑色の料金 は270円加算されていました。 フラワータウン駅からは、バスが便利です。一方、三田駅からは、所要時間の点で北神線経由が有利です。ウッディタウン中央駅からは、料金で はバス、所要時間では北神線経由に利があります。北神急行市営化前は、全般的にバスが有利でした。 ![]() 多くの乗客が北神線経由に移行か 神姫バスのフラワータウン発特急バスは、神戸三田ICから六甲北有料道路(兵庫県道95号)、阪神高速7号北神戸線、阪神高速32号新神戸 トンネルを経由して、ノンストップで新神戸まで直行します。したがって、神戸電鉄の神鉄道場ー谷上間ではバスの競合路線はなく、鈴蘭台経由か 北神線経由かの2択となりますが、北神急行市営化により270円安くなった北神線経由に多くの乗客が移行するものと思われます。 ![]() 神戸北町からはバスが便利 箕谷、神戸北町と三宮間の移動を、直通バスと北神線経由で比較すると次のようになります(神 戸北町の時刻表 路線/系統一覧、市 バス近郊区・共同運行路線、箕 谷から三宮(地下鉄西神・山手線)までの乗換案内 - NAVITIME)。
![]() 神戸北町から三宮までバスで移動する場合、36分で三宮に到着します。一方、北神線を経由する場合は、バスで谷上駅まで32分、谷上駅で地下鉄に乗り換えて三宮駅まで11分、計43分と乗り換え時間がかかります。料金は同じ500円だから、バスの方が便利です。北神急行市営化前なら、圧倒的にバスが有利でした。 2つのショッピングセンター 神戸北町には、すぐ近くに2つのショッピングセンターがあります。ひとつはコアキタマチショッピングセンター専門店街で、コープデイズ神戸北町店と同じ建物内にあります。もうひとつはミリオンタウン神戸北町で、万代、しまむら、キャンドゥ、ジョーシンが出店しています。ほかに、DCMダイキ神戸北町店、サンディ神戸北町店やエディオン神戸北町店やユニクロ 神戸北町店もあります。 ![]() また、箕谷駅と谷上駅の間に、スーパーマルハチ箕谷店、業務スーパー箕谷店、コスモス谷上店、ラ・ムー谷上店がならんでいます。 ![]() この狭いエリアにこれだけの店があって、果たして経営が成り立つのでしょうか。次の鳥観図にあるように、このエリアの南には、筑紫が丘、山の街、北鈴蘭台の住宅地が広がっているので、それなりの成算はあるのかもしれません。 ![]() 一定数は北神線に移行か 山の街、北鈴蘭台、鈴蘭台から三宮までの所要時間と料金を比較すると次のようになります。
結局、神戸電鉄の乗客は、三田線と有馬線含めて一定数は北神線に移行することになりそうです。 神戸電鉄、山陽電鉄、阪急阪神ともに堅調 新型コロナの影響で業績は低迷しているものの、2021年度の神戸電鉄の連結決算は10億円の黒字となっています(神戸電鉄2022年3月期決算短信〔日本基準〕(連結))。
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