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都市機能用地と緑地で3分の1
 六甲アイランドは、1972年に埋め立てが始まり、1992年に完了しています。水深14〜15メートルの大水深コンテナターミナル(4バース)整備されています(海空陸の総合ターミナル 港湾施設 )。
 次の図(新都市整備事業の概要 - 兵庫県)が示すように、埠頭・港湾関連用地が半分強ですが、都市機能用地と緑地で3分の1を占めています。街の中心を南北に人工河川が流れ、その両岸が公園となっていて、高層マンションやオフィスビル、商業ビルが並んでいます。分譲マンションと戸建て住宅、市営住宅がありますが、UR賃貸はありません。


1周5kmのシティーヒル
 住宅地の周りには「シティーヒルと呼ばれる19万本以上もの植木が植えられたグリーンベルトがあり、これに沿って続く1周約5kmの道は、大部分が足に優しいフラットな土道コース、足を止める信号機もなく緑が多い、海と山の両方の景色も楽しめ」ます(神戸六甲アイランドランニングコース×温泉×グルメを堪能 | 【公式】神戸ベイシェラトン ホテル&タワーズイラストマップ)。

東側地域は高齢化
 六甲アイランドの地域データは、東西に分けて集計されています。
 六甲ライナーの東側は六甲アイランド地域です(東灘区地域の基礎データ六甲アイランド地域のマップ版)。

 人口は、2000年以降、減少に転じて、2015年現在で8,249人です。65歳以上の人口比率は年々上昇し、2015年現在で24.0%です(東灘区地域の基礎データ六甲アイランド地域の統計版)。2022年1月現在、東灘区の65歳以上の人口比率は24.9%ですから(神戸市:人口統計)、六甲アイランド地域の高齢化は東灘区の平均に近いことになります。


十分若い西側地域
 六甲ライナーの西側は向洋地域です(東灘区地域の基礎データ向洋地域のマップ版)。

 人口は、2000年以降も増え続け、2015年現在で10,583人です。65歳以上の人口比率は徐々に上昇しているものの、2015年現在で12.6%ですから(東灘区地域の基礎データ向洋地域の統計版)、まだ十分若いといえます。


〇番街〇番館
 六甲アイランドの住宅地区・六甲アイランドシティー(RIC)は、六甲ライナーをはさんで、東のイーストコートと、西のウェストコートに分けられています。イーストコートは六甲アイランド地域に対応し、ウェストコートは向洋地域に対応しています。
 東西のエリアは、次の地図(六甲アイランドまち情報ハンドブック 第5版)のように、さらに2番街から11番街の地区に細分されています。なお、ウェストコートには2番街はなく、20番街と21番街が追加されています。

 それぞれの地区は、似た設計の複数のマンションによって構成され、それぞれのマンションは、イーストコート4番街4番館やウエストコート4番街西棟のように名付けられています。
 ただし、イーストコート3番街(写真右)のように、1地区に1棟しかないものもありますし、ウエストコート3番街(写真左)の1番館(右)と2番館(左)のように、規模もデザインも全く異なるものもあります。

 イーストコート3番街の概要は次のとおりです(RICイーストコート3番街の物件情報)。

 ウエストコート3番街の概要は次のとおりです(RICウエストコート3番街の物件情報)。


超高層ビルが4棟
 六甲アイランドには、超高層ビルが4棟あり、いずれも神戸市のランキング20位以内に入っています(神戸市・超高層ビルデータベース・ランキング一覧)。
 六甲ライナーで六甲アイランドに向かうと、イーストコート3番街(140m/40階/1991年09月竣工)とウエストコート3番街1番館(123.2m/38階/1993年06月竣工)が見えてきます。その奥には、アジア・ワン・センター(131.4m/31階/1993年06月竣工)とRICセントラルタワー(120m/32階/1992年08月竣工)がそびえ立っています。
 さらに、アイランドセンター駅の両側に神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ(1992年竣工)と神戸ファッションマート(10階/1991年7月竣工)が建っています。これらの建物は、1991年から1993年にかけて建設され、市街の中心を形成しています。


ウエストコートは遅れて開発
 まち開き以来、世帯数と人口は次のように推移しています(まち情報ハンドブック/街のあゆみ)。
 1990年/六甲ライナー開業、1991年/神戸ファッションマート開業、1992年/六甲アイランド病院開業・シェラトンホテル開業、1993年/P&G日本本社開業、というように、街の中心部の施設は整いつつありましたが、1993年時点では、4,000戸9,000人弱とマンション建設は計画の半分程度でした。
 2001年にイーストコートのマンション建設は完了しますが、ウエストコートの3分の1はまだ空いていました。ウエストコートのマンション建設が完了するのは、2017年になってからです。
 このようにして、高齢化の進むイーストコートと、まだ十分若いウエストコートという構図ができました。2001年に、イーストコートで最後に完成した11番街の入居が始まりましたが、この4棟408戸は、シニア世代向けメディケアサービスマンションです(RICイーストコート11番街 [シニア向け分譲マンション])。一方、その半年後、ウエストコート11番街北側に建設された神戸女子学生会館の入居が始まりました。ここは、女子学生専用のマンションなので入居者は定期的に入れ替わり、平均年齢は20歳前後のままです(神戸女子学生会館)。


すべて所有者が交代
 131.4m31階建てのアジア・ワン・センターは、P&Gジャパンが、日本本社と研究開発部門のために建てたビルで、1993年に業務を始めました。その向かいにある120m32階てのRICセントラルタワーは、「ジ・アンタンテ」というブランドの外国人エグゼクティブ仕様の高級タワーレジデンス(高級サービスアパートメント)で、1992年に営業を始めました(ジ・アンタンテ)。P&Gビルの南には、外資系の神戸ベイシェラトンホテル&タワーズが1992年に開業しました。島内には、カナディアンアカデミー神戸ドイツ学院インターナショナルもあり、「六甲アイランドは外国人の多い街」という印象があります。
 さらに、ベイシェラトンホテルの南に、美術館、映画館、専門店街、ホテルを併設した神戸ファッションプラザが1997年に開業しました。
 アイランドセンター駅東に並んだ、P&Gビル、ベイシェラトンホテル、神戸ファッションプラザは、国際的で先進的な六甲アイランドを象徴する施設でしたが、現在では、すべて所有者が入れ替わっています。

 まるでUFOのような
 開業当時の神戸ファッションプラザは、MOVIX 六甲(シネマコンプレックス)、専門店街、神戸ファッション美術館、神戸ローザンヌホテル(現在のホテルプラザ神戸)の入居する複合施設でした。現在、映画館と専門店街は全面的に撤退し、建物の所有者が市税を滞納したため、一時は公売にかけられていましたが(神戸の人工島で商業棟が税滞納で公売へ)、公売は中止され、大阪府和泉市の産業廃棄物処理会社が買い取ったそうです(「神戸ファッションプラザ」商業棟、産廃会社が取得)。
 神戸ファッションプラザは次のように、かなり奇抜なデザインとなっています。

 下から見上げると、UFOが着陸しているようです(神戸ファッションプラザ)。

 断面図は次のようになっています(施設 | 神戸六甲アイランド ホテルプラザ神戸【公式】)。地下1、2階が駐車場になっています。サン広場を挟んで、東側は商業施設(神戸ファッションプラザRink)とホテル(3階と11〜18階)となっています。西側に、神戸ファッション美術館、神戸ゆかりの美術館、オルビスホールがあります。UFOのように見えているのは、オルビスホールの周りに突き出した逆向きの庇(ひさし)のようなもので、単なる飾りのようです。


売却されたのは、区分所有権
 神戸ファッションプラザの所有関係は次のようになっていました(RINK 大栄環境が取得 (191115) - 六甲アイランド日本共産党後援会)。神戸市とホテルと合同会社神戸ファッションプラザがそれぞれ区分所有権を持っています。比率は、それぞれ35.97%、14.28%、49.75%です。サン広場は共有です。合同会社神戸ファッションプラザは、2017年12月に国税庁に登録され、2018年10月に、東京から大阪に所在地が変更されています(合同会社神戸ファッションプラザ)。今回、一時公売にかけられ、その後売却されたのは、合同会社神戸ファッションプラザの区分所有権です。

 サン広場の内部はがらんどうになっています(サン広場(神戸ファッションプラザ3階)「Rink」)。

 オルビスホールは、円形の多目的ホールで神戸ファッション美術館の付属施設です(オルビスホール)。

 目的に応じて、レイアウトを自在に変えることができます(ステージレイアウト)。


映画館閉館後、次々と閉店
 MOVIX 六甲が開業したのは1997年ですが、そのころは、シネマコンプレックス(複数のスクリーンがある映画館)は珍しく、島内外から多くの人が訪れていたそうです。
 しかし、交通の便が良い都心に、109シネマズHAT神戸(2005年)、OSシネマズミント神戸(2006年)、TOHOシネマズ西宮OS(2008年)などのシネマコンプレックスが続々とオープンすると、客足は低下し、2010年1月に閉館、2010年7月に「シネウェーブ六甲」として再オープンしたものの、やはりあまり客足は戻らず、2011年11月に閉館となりました(【六アイトリビア】映画館「MOVIX六甲」があった|兵庫県初のシネコン&MOVIX1号館)。
  「パントリー六甲アイランド店」が7/3(火)で閉店、エスカレーターが止まった店内と「神戸ファッションプラザ」閉鎖の様子を見てきた!を参考に、映画館閉館後の推移をまとめると次のようになります。
9階シネマのフロア、2011年まで営業していたが、閉店。
7階家具アウトレットのフロア、2011年まで営業していたが、閉店。
4階カジュアルファッションと雑貨のフロア、2012年まで営業していたが、閉店。
5階リビングファッションと雑貨のフロア、2012年まで営業していたが、閉店。
6階キッズとアミューズメントのフロア、2012年まで営業していたが、閉店。
8階レストランのフロア、2012年まで営業していたが、閉店。
3階レディースファッションのフロア、2015年まで営業していたが、閉店。
2階ワイン・ドラッグ・書籍・文具のフロア、2018年まで営業していたが、閉店。
1階食料品のフロア、食料品専門館パントリー、2018年7月3日で閉店。
 映画館が閉まると、あっという間にRinkの4階以上は空き家となってしまいました。最後まで残っていたスーパー「パントリー」も、次のように( 「パントリー六甲アイランド店」が7/3(火)で閉店、エスカレーターが止まった店内と「神戸ファッションプラザ」閉鎖の様子を見てきた!)、2018年7月3日に閉店してしまいました。


エレベーターとエスカレーターが停止
 公売の資料(RINK公売)によると、管理費の滞納は次のような状態でした。 管理組合は、神戸ファッションプラザの区分所有権者3者によって結成され、区分所有権者はそれぞれ管理費を管理組合に収めることになっていました。ところが、合同会社神戸ファッションプラザが、2018年2月から月1000万円の管理費を滞納し続けたため、専用のエレベーターとエスカレーターが停止されたようです。

 人口2万人の六甲アイランドに、スーパーは、ジ・アンタンテ マーケットシーンのダイエー六甲アイランド店と、神戸ファッションプラザのパントリー六甲アイランド店の2店舗しかなかったのですから、採算には問題はなかったはずです。
 にもかかわらず閉店せざるをえなかったのは、エレベーターとエスカレーターが停止したためと思われます。六甲ライナーのアイランドセンター駅から、パントリー六甲アイランド店へ行くのには、3階の通路を通ってRinkに入り、専用エスカレーターで1階に降りていました。また、地下駐車場からは専用エレベーターで店内に入っていました。これらが使えないと、店に入るのがかなり不便になってしまいます。

「経過措置」として、トーホーストアが開店
 RINK 大栄環境が取得 (191115) - 六甲アイランド日本共産党後援会を参考に、その後の推移をまとめると次のようになります。
2018/07/27 「OMこうべ」が記者発表、食品スーパー事業者を募集、建物はOMこうべが建て、賃貸。場所は、道路を挟んで、神戸ファッションプラザの南隣
09/10 新規に出店するスーパーはトーホーストアに決まる。契約は5年間(途中解約は認められない)
11/09 神戸市がRinkを公売、見積価額(最低価格)は、15億6,200万円
11/28 公売中止、滞納していた税金を支払う?
2019/03/28 トーホーストアがオープン
05/05 兵庫県がRinkを公売、最低価格は、15億5,800万円。入札の応募なし?
10/28 兵庫県が再びRinkを公売、最低価格は、11億7,000万円。入札の応募なし?
11/15 大栄環境がRinkを取得
 「OMこうべ」は株式会社ですが、神戸市が、140億円(全体の99.5%)を出資しています。固有職員51名以外に、神戸市派遣職員4名、神戸市 OB20名(内役員3名)が在籍しているそうです( 神戸市職員措置請求書)。須磨ニュータウンと西神ニュータウンの近隣商業施設とショッピングセンターを管理しています。そのほか、市内各所で、駐車場やコミュニティ・スポーツ施設を運営しています(株式会社OMこうべ)。さらに、神戸ー関空ベイシャトルも運航しています。 
 「OMこうべ」は株式会社ですから、スーパーの出店を規制や許可する権限はありません。店舗面積が1,000平方メートルを超えなければ、大規模小売店舗立地法の対象とはなりませんから(大規模小売店舗の出店ルール)、食料品スーパーの出店はさほど面倒ではないはずです。しかし、次の図(六甲アイランド「分譲済み」)で見る限りでは、適当な用地はあまり残っていないようです。そこで、「OMこうべ」が仮店舗を建設し、トーホーストアに5年契約で賃貸することになりました。途中の解約は認められないということです。トーホーストアは、2019年3月に開店しています。

 2018年8月10日に行われた、みなと総局(現・港湾局)と住民らとの懇談では、5年間の期間について、「あくまで経過措置。将来的には販売する土地だから」「緊急事態との認識のもと対応した」「望ましいのはやはりRINKにお店が入ること」という発言があったそうです(みなと総局との懇談 - 六甲アイランド日本共産党後援会)。5年間経てば建物を明け渡すという契約なのでしょうか。
 神戸市は、六甲アイランドの土地をすべて売却するのではなく、予備の土地を保留してあったのかもしれません。仮店舗の建設費と、今後5年間の賃貸料が釣り合えば良いという判断なのでしょうか。

急転直下、売買契約が成立
 一方、トーホーストアの開店準備と並行して、神戸市は1918年11月、合同会社神戸ファッションプラザの区分所有権を、最低価格15億6,200万円で公売にかけました( 六甲アイランド「神戸ファッションプラザ」の商業棟、市税滞納により公売に!)。市税の滞納があったので、それを取り立てるためです。管理費の滞納分1億円弱は買主が支払い義務を受け継ぐので(管理費や修繕積立金を滞納してもマンションは売却できる?)、神戸市にとっては一石二鳥です。ところが、滞納していた税金が支払われたようで、公売は中止となりました。
 しかし、県税も滞納されていたようで、今度は兵庫県が2019年5月、最低価格15億5,800万円で公売にかけました。管理費の滞納分が月1000万円ずつ加算されていることを考えれば、実質的には値上げです。そんなこともあってか買い手は現れず、2019年10月、最低価格を11億7,000万円に引き下げ再度公売にかけたものの、やはり買い手は現れなかったようです。年明けに再々度の公売も予定されていたようですが、そんな中で、2019年11月14日に急転直下、大栄環境との間に売買契約が成立しました( 「神戸ファッションプラザ」の商業棟を大栄環境さんが所有権を取得)。 

1階は取り壊し撤去完了
 大栄環境(大阪府和泉市)は、廃棄物処理・リサイクルで急成長した企業で、2020年9月7日に神戸ファッションプラザ6階・7階にグループ本部事務所を移転しました(【神戸ファッションプラザ】大栄環境が6階・7階にグループ本部事務所を移転 )。
 六甲アイランドの地域ブログ「ろくあいびより」から、その後の動きをまとめると、次のようになります。
2020年7月 1階 パントリー跡地で設備の取り壊し撤去
2020年9月7日 6階・7階に大栄環境グループ本部事務所を移転
2021年4月13日 こべっこあそびひろば・六甲アイランド」が3階にオープン
2021年4月 小規模保育園【光の子グレイス】3階にオープン予定
2021年4月 ネイルサロン【BELLA】3階にオープン
2021年6月26日から 9階が【新型コロナワクチン】集団接種会場に
2022年2月5日から 9階が【新型コロナワクチン】3回目集団接種会場に
 2020年7月には、1階のパントリー跡地で設備の取り壊し撤去が完了し、新店舗の入店が可能となっています。2020年9月に6階・7階に大栄環境グループ本部事務所を移転、2021年4月に、3店舗の入居があった後、9階が集団接種会場になった以外に、特に大きな動きはないようです。

地下1600メートルから温泉
 神戸ファッションプラザの映画館が閉館となった2011年には、赤字続きの神戸ベイシェラトンホテル&タワーズがホテルニューアワジに買収されました(神戸ベイシェラトンを買収、ホテルニューアワジが発表)。なお、フランチャイズ方式で経営主体が変わってもホテル名はそのままのようです。
 神戸ベイシェラトンを買収したニューアワジは、シティーホテルに和のテイストを付け加えることによりテコ入れをはかりました。
 2013年にホテルの敷地内で地下1600メートルまで掘削を進め、1分間に約400リットル、平均50〜55度の温泉水のくみ出しに成功し(【HOT NEWS】自家温泉が湧出しました)、2014年4月26日、シェラトンスクエア3階に神戸六甲温泉・濱泉(はまいずみ)を開業しました(本日開業 神戸六甲温泉「濱泉」)。

スリッパと浴衣のままで
 15ある客室フロアのうち、赤線で囲んだ9フロア(フロアガイド参照)からは、スリッパと浴衣のままで、スパ直通エレベーターを使って、シェラトンスクエアの濱泉に行くことができます。その他のフロアの宿泊客は、スリッパと浴衣のままでは濱泉に行くことはできませんが、いずれのフロアの宿泊客であっても入浴は無料です。ただし、SpaLivingを使えるのは、スパ直結フロアの宿泊客だけです。なお、入浴料2,800円(東灘区の住人は1,500円)払えば、日帰り客でも入浴できます。ただし、混雑時は入場制限されることがあるそうです。


リーズナブルな値段
 各部屋の宿泊代金次のようになっています(空室検索)。金額は、2名で宿泊した場合の1人分です。ジャパニーズスパスイートと専有露天風呂付和室は、定員4人の部屋に2人で泊まった場合の1人分の代金です。平日に普通の部屋に2人で泊まった場合の代金は、7000〜10000円です。入浴料がタダでついていることを考えれば、シティーホテルとしてはリーズナブルな値段だと思われます。

 このようなテコ入れについて、「改革を重ねたことで、当初は24億円程度だった神戸ベイシェラトンの売り上げは、主に宿泊売上の増加から2015年以降は32億円を超えている。客室稼働率は当初の1.3倍の90%近くに高まった」という評価があります(神戸のシェラトンが「温泉&浴衣」になった納得の事情)。
 ただし、この時期は、次のグラフ(訪日外国人動向2021 - 観光統計 - JTB総合研究所)が、示すように外国人観光客が急増しており、その効果が大きかったものと思われます。


P&Gビルも売却
 2011年の神戸ベイシェラトンホテル&タワーズの売却に続いて、2014年には、P&G(プロクター・アンド・ギャンブル)ジャパンが六甲アイランドの本社ビル(現在のアジア・ワン・センター)を、中国人資本家の経営する剣豪集団株式会社に売却しました(P&Gジャパンの30階建て本社ビルを購入した中国系企業の「夢」とは?―日本華字紙)。
 P&Gジャパンは、2016年8月に、本社を六甲アイランドから三宮ビル北館に移転し(P&G 新社屋へ移転完了、8月1日より全面稼働)、その跡に、ビルの新オーナーである剣豪集団が本社を移転しています。

花王とトップの座を争う
 P&Gは、米国に本拠を置く世界最大級の日用品メーカーで、洗剤、シャンプー、紙おむつ、生理用品、髭剃り、化粧品など広範囲の商品を扱っています(P&Gの世界市場シェアと事業構成の分析)。 

 日本市場では、花王とトップの座を争っています(P&Gで人事に大ナタ、問われる日本の存在感)。


アジア本部はシンガポールへ
 P&Gグループ 会社案内P&Gで人事に大ナタ、問われる日本の存在感いま、社会の一員としてを参考に、P&Gの日本での事業展開の歩みをまとめると、次のようになります。 
1972 P&Gサンホーム株式会社(共同出資)設立
1973 大阪で事業開始
1978 P&Gサンホームが、P&Gの100%子会社となる
1984 関連5社を、P&G・ファー・イースト・インクに統合
1993 六甲アイランドに日本本社・テクニカルセンターが完成
2006 事業を譲渡し、P&Gジャパン株式会社設立
2009 アジア本部を日本からシンガポールへ移管
2014 日本本社ビルを剣豪集団に売却
2016 三宮に日本本社・神戸イノベーションセンターを移転
2021 社名および組織をP&Gジャパン合同会社へ変更
 1972年、P&Gは共同出資で、P&Gサンホーム株式会社を設立し、大阪を拠点に事業を始めます。1978年には、P&Gサンホームを100%子会社とします。
 1984年、関連5社を、P&G・ファー・イースト・インクに統合し、1993年に、六甲アイランドに日本本社・テクニカルセンタービルを建て、本拠を移転します。
 移転の理由は、(1)交通の便(2)英語で暮らせる環境(3)インターナショナルなイメージ、だそうです(いま、社会の一員として)。
 2006年、P&Gジャパン株式会社を設立し、P&G・ファー・イースト・インクから事業を譲り受けます。事業譲渡の形で、組織再編と社名変更を行ったものと思われます。
 2009年、アジア本部を日本からシンガポールへ移管し、2014年には、空きの目立つ六甲アイランドの自社ビルを、剣豪集団に売却し、2016年、三宮の貸しビルに日本本社・神戸イノベーションセンターを移転しました。
 2021年1月、社名及び組織を、P&G ジャパン合同会社に変更しました。理由は「より企業の所有形態、管理、組織デザインについて柔軟性を持たせ、迅速かつ円滑な意思決定が可能となる」からだそうです(社名及び組織変更に関するお知らせ)。

アジアのベンチャー企業の支援拠点に
 P&Gビルを買った剣豪集団は、社名からは武闘家グループのような印象を受けますが、この社名は創始者である鄭剣豪氏の名前に由来します。
 鄭剣豪氏は、浙江省寧波市出身で1964年生まれということです(P&Gジャパンの30階建て本社ビルを購入した中国系企業の「夢」とは?―日本華字紙)。1992年に寧波で剣豪実業を設立し、2001年には神戸で剣豪集団を設立し、貿易業務、企業買収の仲介、投資コンサルタント、ファンドの運営などを手がけています。北京大学EMBA時代の友人には経営者や銀行、政府の関係者が多く、また、神戸大学・大学院への留学もあるため、日本語が話せるそうです(剣豪集団株式会社(近畿経済産業局))。剣豪集団は、P&Gビル(現在のアジア・ワン・センター)を賃貸オフィスとともに、日本やアジアのベンチャー企業の支援拠点にしたいとしているそうです(講演情報 | 剣豪集団株式会社)。
 アジア・ワン・センターの高層階の部屋はまだ空いているようです(神戸市東灘区 向洋町中の賃貸オフィス)。